真茶園
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お茶の豆知識

19世紀、海外に日本のお茶はどう迎えられたのか

 

海外への日本茶デビュー。それは明治の頃。
外国人の手により、旅立っていきました。
そしてその時の様子は、海外の書に”日本の項目”が設けられ、きちんと記されています。
今回は、その書物の中でどのように日本茶が紹介されていたのか、海外での日本茶の受け止められ方について、見ていきたいと思います。

 

海外に向かう日本茶。その裏側にあったのは中国の混乱

幕末、日本が混乱の渦中にあった頃、突如としてイギリスから大量のお茶の注文が入ります。当時、海外と日本は直接は繋がっておらず、橋渡しを行っていたのは長崎。そこに居たお慶さんと呼ばれる貿易商人がお茶集めを担うこととなり、日本各地、お茶の産地へ足を運ぶこととなります。
しかし、懸命に集めたにも関わらず、集まったお茶は一万斤(約7トン)。これは、注文に遠く及ばない量でした。

でもなぜ、突然に、海外の目が日本のお茶に向けられたのでしょうか。

その裏側には、中国の混乱がありました。
当時、中国は清の時代。2年に渡って続いていたアヘン戦争が終結、イギリスに敗北した清(中国)は半植民地化の状態となります。そして、そんな中で起こった太平天国の乱。中国は、どんどん混乱の世に突入してしまいました。
それまでは、茶・絹・陶磁器にて繁栄を極めていた清。茶も絹も陶磁器も、他の国では作ることが出来ず独占状態。とても儲かっていたのです。
しかし、混乱の中では生産できるはずがありません。生産も輸出も、すべてが停滞。貿易など、ままならない状況に陥っていました。
そこで困ったのが、ヨーロッパ諸国の人々です。当時、中国のお茶はヨーロッパで広く愛飲されており、それがもう手に入らないと気づいた人々が、どうにかしなくてはと行動を開始したのです。

そんな中で、とあるイギリス人が「小さな島国である日本でも同様のお茶を作っているらしい」という噂を聞きつけ、日本に白羽の矢が立ちました。そしてそれが、大量のお茶の注文へ繋がることとなったのです。

 

海外のお茶の書で紹介された日本茶

1935年に、William H. Ukers(ウィリアム・ユーカース)著作の『All About Tea (お茶の全て)』という本が発行されています。これは、世界初となるお茶の総合書。上下巻からなる大作で、88年が経った今も求める声は多く、中古市場に出回ると買い手が殺到。すぐに無くなってしまうほどの名著です。
そしてこの『All About Tea』の中に、”日本のお茶”も、その詳細がしっかりと書かれているのです。
項目は、「日本における栽培と生産」「日本の茶貿易史」「日本の茶道」の3つ。日本茶について割かれたページは思いのほか多く、その扱いに驚かされます。

また、著者であるユーカースは、記述にあたり実際に日本を訪れ、静岡や京都に足を運び、取材を行っていたという記録も。事実、読み返してみるとその内容はとても深く、一朝一夕には書けない内容であることが分かります。一部、今とは異なる見解も含まれてはいますが、それは時代背景も影響していると思われますし、何より、19世紀当時の海外が日本茶をどのように見ていたのかが分かる大変貴重な書であることは疑いようもないこと。
という訳で、その内容について、少し見ていきましょう。

 

1935年当時、茶道具への見解

「紅茶と同じく、磁器のティーポットとカップ&ソーサーを使用する」と記載されています。これは事実とは異なりますね。とはいえ、海外において日本茶を嗜むのであれば、そこに大きな問題はありません。緑茶ではなく、グリーンティと呼ばれる素敵な飲み物が完成しそうですよね。

 

1935年当時、淹れ方への見解

水道水をしっかりと沸かした後、ティーポットに、ティーカップ1杯につきティースプーン山盛り1杯の割合で茶葉を入れ、熱湯のまま注ぐとあります。そして浸出時間は3分~5分。今の作法からするとあり得ない淹れ方に感じられますが、当時の茶葉は今よりも葉肉が厚く、揉捻も弱かったため、その位でないとしっかりと浸出されなかった可能性もあり、一概に間違っているとも言い切れません。
現に、茶葉をずっと浸したままにしておくことは避けるよう書かれており、渋みが出ることは知っていたことが伺えますから、美味しく淹れる手法として最適だと感じ、書かれていたのだろうと推察できます。

 

1935年当時、味わい方の見解

淹れたお茶をそのまま飲むのではなく、ミルクや砂糖、レモンを入れて飲む方法について書かれています。日本では、当時よりそのような飲み方はしていませんが、実はこれ、日本茶に限ったことではなく、例えば烏龍茶などにおいても同様にミルクなどが足されて飲まれていたと伝わっていますから、ヨーロッパ諸国においてはすべてのお茶に対し、共通の認識だったことが伺えます。

 

そして、記述は日本茶だけでなく抹茶についても。
抹茶の利用法は、点てて飲むだけでなく、お菓子作りや料理にも活用できることが書かれており、なんとレシピまで添えられているのですから驚きですよね。
ユーカースさんのお茶愛の深さが分かる本だと言えるでしょう。

 

このチャンスを得て、日本茶は中国茶を圧倒することとなります。
海外へ、日本のお茶が広く知られるようになったきっかけは中国の様々な要因が絡んではいるものの、その中においてしっかりと爪痕を残し、日本茶の素晴らしさを知らしめることができたのは、元より、品質や美味しさを追求していたからこそ。
千載一遇のチャンスを掴み取ったのは、当時の茶農家の努力あればこそだと言えるのではないでしょうか。